2024/12/16 22:36
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上ナシ珈琲では、Kona Coffeeの最上等級”エクストラファンシー”の生豆と焙煎豆のみを取り扱い販売しています。
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こんばんは。上ナシのフーテンMです。
ネットに出回っているコーヒーの名言の1つにイギリスの小説家アントニー・トロロープ(Anthony Trollope 1815~1882)のものがあります。
トロロープ「ソファーと本、1杯のコーヒー。これ以上贅沢なものがこの世にあるだろうか」
私「ありません」
商品であるKona coffeeをテイスティングと称してガブ飲みしている自分が恥ずかしくなりますなあ。
ソファに寝転んでKona coffeeをガブ飲みしながら今日手に取ったのはこの1冊。
付箋をつけたところを1つだけ紹介しましょう。
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完全な円として結ばれるためには、知識の輪のほかにもう半分の部分がいる。二つの輪が合わさって、初めてほんとうの円になる。この円が心のなかに生きていなければ、強く生きることはできない。豊かな人生とはならない。それはけっして便利な物がいっぱいそろっている、生活のことをいっているのではない。心をもう一度探してみなさいと、ネイティブ・アメリカンの年寄りはいった。
ネイティブ・アメリカンの儀式を見ようと、いろいろな人が部族の村にやってくる。彼らは村のなかをきょろきょろとのぞいて歩く。だから村の年寄りはいう。「われわれの生き方を部族の外の者に話すことはしない。なにかを探ろうと写真を撮っても、カメラにはわれわれが守ってきた知恵は写らない。無駄なことだ。だからわれわれは彼らに立ち去ってくれるように頼む」。
人びとは不満そうな顔をする。だが、どんな物でも形のあるものを渡すと、喜んで帰っていく。彼らはほんとうは物が欲しかったのだ。しかもその物の由来を聞くことすらしないで帰っていく。彼らは生きるための知恵を探していると口ではいいながら、ネイティブ・アメリカンの村に行ってきたと、人にいえる物があるだけで満足するのだ。
彼らは心が空っぽのままでも、少しも気にならない。心の壺に水を汲んでやることを知らないからだ。乾涸びた壺は、自分も人も潤してあげることはできない。ネイティブ・アメリカンの村では、・・・・(省略)
大切なことは、毎日の暮らしのささいなことのなかにある。それは深遠でもなければ、華々しくもない。
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寝転んでたソファから飛び起きてしまいました。寝転がって読むものじゃなかったです。
なんでもカメラでパシャパシャ撮って、撮ったものの由来は気にせず、コトの体験とモノだけを欲しがる。まさに自分たちの生活への絶大な皮肉じゃないですか。
極めつけは【大切なことは、毎日の暮らしのささいなことのなかにある。それは深遠でもなければ、華々しくもない。】と。
どこかで同じようなことを聞いたなあと考えてみたら、いつかの新聞記事を思い出しました。
記事では、1300年間に2人だけが成し遂げた最難関の荒行「大峯千日回峰行」満行者で、現在は宮城県仙台市の福聚山慈眼寺の住職・塩沼亮潤大阿闍梨がかつてこんな話を新聞に書いていらっしゃった。
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お寺の修行生活は、365日同じことの繰り返しです。
なぜかというと、熱量を下げずに繰り返し修行することにより悟る可能性があると釈尊が説いたからです。
その道標をたどり、朝から晩まで続く修行や作務で体を動かしながら手探りで自分自身の内面を磨いていきます。
行いを慎み、言葉を慎み、心を慎み、誰が見ていても見ていなくても常に慎み深く自分を律して生活していくと、やがてあることに気が付きました。それは師匠の一挙手一投足を「品格があり美しい」と素直に感じたことでした。・・・(省略)
朝起きて、心のなかで 「今日も一日よろしくお願いします。」 と手を合わせ、一日の生活のなかで善いことをして、悪いことをしない。 そして、夜、何事もなく一日を過ごせたなら心のなかで「ありがとうございました。」 と感謝をすること。
これだけでも立派な信仰だと思います。
すべての出会いに感謝して常に自分を省みてどんな存在にも敬意を払い謙虚に素直に生きて人生を楽しむことです。
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「なんか楽しいことないかなあ」と探すんじゃないんですよね。「熱量を下げずに」日々の生活を送り、「行いを慎み、言葉を慎み、心を慎み、誰が見ていても見ていなくても常に慎み深く自分を律して生活していく」と、「一挙手一投足」が「品格があり美し」くなる。
いい悪いは別にして、アメリカ大統領選挙を見ても、兵庫県知事の騒動を見ても、なんか違和感を感じるのは品格が感じられず、美しくないということなのかもしれませんね。
そういう意味でいうと、国民から絶大な支持を受けている大谷翔平選手は「品格があり美しい」とみんなが感じている結果なんじゃないですかね。
もう私たちは夏目漱石が言うように「牛になるしか」ないのかもしれませんね。
人は「根気の前には頭を下げる」。
うんうん死ぬまで押すしかないかあ。
Kona coffeeとソファと1冊の本が思わぬところへ連れて行ってくれました。
迷わず行けよ!行けばわかるさ!
タァー!