2024/12/23 22:57

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上ナシ珈琲では、KonaCoffeeの最上等級”エクストラファンシー”の生豆と焙煎豆のみを取り扱い販売しています。

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こんばんは。上ナシのフーテン𝓜です。

今年もあと1週間ばかりです。

そこに悲しいニュースが入ってきました。

珍しい「左投右打」で「メジャーリーグ史上最高のリードオフマン」リッキー・ヘンダーソンが亡くなったと。享年65歳。


メジャー25シーズンで盗塁の数がMLB歴代1位の1406盗塁。日本の「福本豊」といったらわかってもらえるか。

ボクが中学生の頃、当時はインターネットもなく、メジャーリーグの情報はなかなか手に入りませんでした。雑誌でチョロっと見るくらいでね。

そこで田舎の中学生のボクは、雑誌かなにかで宣伝してた「メジャーリーグ通信」とかいうニュースレターというんでしょうか、季刊の読み物を申し込みました。

年会費を払うと1年、1か月か2ヶ月か3か月だったかに1回ガリ版刷りよりもう少しましだったけど、紙に印刷されたメジャーリーグの情報誌が送られてくるんですな。

改めてリッキー・ヘンダーソンのメジャーリーグでの成績を見てみると1982年に未だ破られていないMLB記録のシーズン130盗塁を達成してます。
1982年、ボクは15歳でした。

ボクは、この大記録を題名もうろ覚えだけどたぶん「メジャーリーグ通信」で読んだんだな。

リッキー・ヘンダーソンはいつもヘッドスライディングをしていたイメージですね。そして、記録を達成したら、ベースを抜いて持ち上げてた。

今考えたら、おかしいですよね?

だって「メジャーリーグ通信」って2カ月とか3か月に1回送られてくるんだけど、順位表や特集記事はだいぶん古い情報でしょ?

ワールドシリーズが終わってる時期に地区優勝がどうなるか・・・なんて記事を読んでるわけですからね。それでも秘密の情報が得られた感じでワクワクしながら読んだ記憶があります。

当時はモントリオール・エクスポズって球団もありましたね。あれから40年以上が経って、順位表も当日の試合速報も試合そのものもライブで見られるんですからすごいことです。

R.I.P.  
RickeyHenleyHenderson(1958-2024)


ネットで往時のヘンダーソンの写真をあれこれサーフィンしながら、本日もコナコーヒー”エクストラファンシー”飲んでます。


コナコーヒーのお供は、ハワイのお土産マカダミアナッツ、そして、ロビン・ウォール・キマラー著『植物と叡智の守り人』


読み始めたら熱中して、コーヒーが冷めちゃった。

冷めてもおいしんですよ!Kona coffeeはね。

今日、胸に響いた一節を紹介しておきます。

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私はかつて、授業料が年額4万ドルを超える小さな私立大学で、「感謝という文化」というタイトルで講演をしたことがある。

与えられた55分間を使って私は、ホーデノショーニーの「感謝のことば」、太平洋岸北西部の先住民に伝わるポトラッチの伝統[訳注:裕福な家族や部族の指導者が家に客を迎えて祝宴でもてなす習慣。富を再分配するのが目的とされる]、そしてポリネシア諸島の贈与経済について話した。

それから、トウモロコシが大豊作で貯蔵所が一杯になってしまった年についての伝承の話をした。

その年、トウモロコシの畑が村人たちにあまりにも寛大であったため、人々はほとんど働く必要がなかった。
だから彼らは働かず、鎌は木に立てかけられたままだった。
人々はすっかり怠け者になり、トウモロコシの儀式の時期が来ても感謝の歌ひとつ捧げなかった。

彼らは、三人姉妹が神聖な食べ物としてトウモロコシを人々に与えたときに意図したのと違うトウモロコシの使い方をし始めた――薪を割るのが面倒な時に燃料として燃やしたのだ。

安全な穀物倉に保存せず、ぞんざいに積み上げたトウモロコシの山から、犬がトウモロコシを持ち去った。
子どもたちが遊びでトウモロコシを蹴って歩くのを止めようとする者もいなかった。

こうした無礼な扱いを悲しく思ったトウモロコシの精霊は、その村を去り、人々に感謝されるところに行ってしまった。

村人たちは初め、そのことに気づきもしなかった。
だが翌年、トウモロコシ畑は雑草だらけで何も実らなかった。
貯蔵所はほとんど空になり、誰も世話をしなかった穀物には黴が生え、ネズミに囓られた後だった。
食べる物は何もなかった。
人々は絶望し、ただ呆然として、次第に痩せ細っていった。
彼らが贈り物への感謝を忘れたとき、贈り物も彼らを忘れたのだ。

一人の男の子が村を出て、お腹を空かせたまま何日もさまよい歩いたすえにやっと、トウモロコシの精霊が森の中の日の当たる空き地にいるのを見つけた。

彼は精霊に、村に戻ってくださいと懇願した。
精霊はにっこり微笑んで、男の子に、村の人々が忘れてしまった感謝と尊敬について教えなさい、そうしなければ村には戻らない、と言った。
男の子は精霊に言われたとおりにし、精霊は、村人たちにトウモロコシのない厳しい一冬を過ごさせて感謝を忘れた代償を思い知らせた後、春になると村に戻ってきたのだった。(※北米南西部から北東部まで伝わる伝承)

聴いていた学生の何人かがあくびをした。彼らにはそんなことは想像ができないのだ。

スーパーマーケットに行けば商品棚にはいつでも商品がずらりと並んでいる。

講演の後のパーティーで、学生たちは発泡スチロールの皿におなじみの食べ物を山盛りにし、私たちはブラスチックのコップに入れた飲み物をこぼさないようバランスをとりながら、質問したり意見を交換したりした。学生たちはクラッカーのチーズ乗せをむしゃむしゃとほおばり、大量の野菜スティックに、巨大な容器に入ったディップをつけて食べた。

小さな村の村人全員をお腹いっぱいにできるほどの食べ物があった。
食べ残しは、丁度都合よくテーブルの隣に置かれたゴミ箱行きだった。

黒い髪をスカーフでまとめた一人の美しい少女が、私たちの話には加わらず、自分の番が来るのを待っていた。

ほとんどの人がいなくなると、少女は私に近づき、申し訳なさそうに微笑みながら、無駄になったパーティーの残りの食べ物の方を身振りで指した。

「先生のおっしゃったこと、誰も理解していないと思わないでくださいね」と少女は言った。

「私にはわかります。先生のお話、故郷のトルコの村にいる私の祖母にそっくり。アメリカにお姉さんがいるのねって祖母に伝えます。

祖母も「良識ある収穫」の決まりを守っています。
祖母の家では、私たちが口にするものすべて、私たちを生かしてくれるものすべては、別の生命からの贈り物だと教えられたの。
夜、祖母と寝るときは、祖母の家の垂木やかけている毛布に感謝させられました。
それはみんな贈り物なんだと、だからどんなものでもきちんと扱って、その生命に感謝を示すんだって、口を酸っぱくして言われたわ。

それに、お米にキスすることも教わりました。
お米が一粒地面に落ちたら、拾ってキスしなくてはいけないの――大切じゃないから無駄にしようとしたわけじゃない、ということを示すために」。

少女は、彼女が初めてアメリカに来たときの一番大きなカルチャーショックは英語でも食べ物でもテクノロジーでもなく、無駄の多さだったと言った。

「これ、今まで誰にも言ったことがないんですけど、カフェテリアに行くと気分が悪くなるんです―――みんなの食べ物の扱い方を見ているとね。ここで一日分のランチの後に出る食べ残しで、私の村の人たちを何日も食べさせられるわ。こんなこと、誰にも言えなかったんです・・・・・・。お米の粒にキスをするなんて、理解してくれる人いないから」。

話してくれてありがとう、と私が礼を言うと、少女は「贈り物だと思ってください、そして他の人にも分けてあげて」と言った。

地球が与えてくれるものに対する返礼は感謝の気持ちだけで十分なこともある、と人は言う。

感謝の気持ちを表現するのは私たち人間に独特の能力だ。
それはつまり、私たちに、この世界が今とは違う、これほど寛大ではない場所でもあり得るのだという認識があり、集団としての記憶があるということだからだ。

でも私たちは今、感謝する以上のことをしなければいけないと私は思う。
もう一度、与え、与えられるという文化を取り戻さなければいけないと思うのだ。

先住民族が持つ持続可能性モデルに関するある会議で、アルゴンキン族の環境保護活動家であるキャロル・クロウに会った。

キャロルは、部族議会に会議出席の費用を出してくれと要請したときの話をしてくれた。

議会のメンバーに、「その、持続可能性というのは何のことかね? いったい何の話だい?」と尋ねられ、彼女は「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような形で天然資源および社会的機関を管理すること」を含む、「持続可能な開発」の一般的な定義の概要を説明した。

彼らはしばらく黙って考えていたが、とうとうエルダーの一人がこう言った。

「その【持続可能な開発】とやらはどうも、今までどおり、もらうだけもらい続けたい、と言っているように聞こえるがな。もらう、ということばかりだ。行ってこう言ってやりなさい、我々のやり方は、最初に「マザー・アースから何をもらえるか?」と考えるのではなく、「マザー・アースに何を差し出せるか?」と考える。そうでなくちゃならんのだと」

「良識ある収穫」は、もらったものに対してお返しをすることを私たちに求める。
相手の生命を奪うことによって生じる倫理的葛藤は、私たちの生命を維持してくれるものを維持するために、何か価値あるものを返すことで解決する。

人間として私たちが果たさなければならない責任の一つは、人間を超えた世界とレシブロシティーの関係を築くということだ。

感謝すること、儀式、土地の管理、科学、芸術、そして常日頃から長敬の念を持って行動することなどを通して私たちはそうすることができる。


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用語辞典DICTIONARYによれば、レシプロシティは返報性を意味する。具体的には何かを与える場合は見返りを期待し、受け取る場合は見返りをすることを意識する共通認識のこと。

ボクが思うに現代の人間が問う諸問題については、すでに大昔に答えは出ていると思うんです。

こうしたエピソードを聞くと、そう思わずにはいられない。

解決策も答えもすでに示されている。あとは気づいて、それを実行するだけなんじゃないのか。

最後の部分なんかは、1961年の有名なケネディーの大統領就任演説と同じですね。


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だからこそ、米国民の同胞の皆さん、
あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。
あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。

And so, my fellow Americans: 
ask not what your country can do for you--
ask what you can do for your country.


世界の市民同胞の皆さん、
米国があなたのために何をするかを問うのではなく、
われわれが人類の自由のために、
一緒に何ができるかを問うてほしい。

And so, my fellow Americans: 
ask not what your country can do for you--
ask what you can do for your country.


最後に、
あなたが米国民であれ、世界の市民であれ、
今ここにいるわれわれに対して、
われわれがあなたに求めるのと同じ力と犠牲の高い基準を求めてほしい。

Finally, 
whether you are citizens of America or citizens of the world, 
ask of us here the same high standards of strength and sacrifice which we ask of you. 


善良な良心を唯一の確かな報奨として、
歴史をわれわれの行為に対する最後の審判として、
神の祝福と助けを求めながらも、
この地球上における神の御業を真にわがものとしなければならないことを知りつつ、
われわれの愛するこの土地を導いていこうではないか。

With a good conscience our only sure reward, 
with history the final judge of our deeds, 
let us go forth to lead the land we love, 
asking His blessing and His help, 
but knowing that here on earth God’s work must truly be our own.

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現在の日本も「政府は何もしてくれない・・・」という不満の声があると聞きます。政府がやることで至らぬ点は多々あることでしょう。でも、不満言ってもしょうがなくね? 政府がコントロールできることなんてしれてるんだし。

情報は40年前と比べて速報性も拡散性も大幅に進歩したけど、そこに暮らす人間のたたずまいは少なくとも1961年からそれほど変わってないってことですかね?


人生は続く!迷わず行けよ!行けばわかるさ!
タァー!